2010年



ーー−4/6−ーー ブログ開始

 この4月1日から、ブログを始めた。大竹工房のブログである。これまで、ホームページと番犬日記を続けてきたので、これからは3本立てとなる。他にミクシイもやっているが、これはメンバー制なので、外しておく。

 何故今更ブログなのか。これまでも、仕事がらみのブログをやったらどうかと勧めてくれた人がいた。ネットに関する詳しい知識を私は持たないが、ブログの方がヒットしやすいと言うのがその理由だったと思う。しかし、それを受けて始めたのは「番犬日記」であった。勧めてくれた人にとっては、的外れな結末だったろう。しかし、私としては、全く別の分野から読者を掴みたいという気持ちがあった。最終的な目標は、ホームページへの誘導である。

 先日帰省した大学生の息子から、「番犬日記」は意味が無いから止めたらどうかという指摘を受けた。その代わりに、工房の仕事を紹介するブログを始めたら良いと。彼は犬に対して何の関心も無い。だから、意味が無いと感じるのも当然だ。しかし、楽しみにしてくれる読者がいるのは確かだから、「はいそうですか」と止めるわけにはいかない。

 余談だが、「番犬日記」は、掲載を続けるのにいささか辛いものがある。飼い犬の生活など、単調そのものである。しかも、人のように顔や動作で演技を付けることもできない。そのため、毎回同じような内容、同じような画面になってしまう。そんなブログであるが、毎日いくらかのアクセスがあるところを見ると、動物(ペット)の力は大きいものだと思う。

 ホームページの中で、定期的に更新しているのは、この「マルタケ雑記」。そして、不定期だが記事をアップしているのが「木と木工のお話」。「マルタケ雑記」の内容は、本業とプライベートの記事が混在している。言わば、私個人の「書き物道楽」の感が強い。それに対して「木と木工のお話」は、本業にウエイトを置いた内容である。それ故、ちょっと固い。

 息子の言い分は、ホームページはこのまま続けるとして、毎日の木工仕事の有り様を、簡潔な文章と画像で綴るブログを始めたらどうかということであった。

 そんなマニアックなものが、世の中の人の関心を呼ぶだろうか。私はそう反論した。それに対して息子は、「逆にそういうのが良いのだ」と言った。創作の分野で仕事をしている人の中には、そのような「作業日誌」的なブログを書いているケースが多いらしい。そういうものには、現場の生々しい雰囲気が感じられて、思わず引き込まれると言う。そういう情報に繰り返し接するうちに、その分野の仕事に対する関心や理解が深まって行き、それまで感じた事もない興味が湧いてくるのだとも言った。

 彼は自分でもモノを作ったり描いたりするのが好きだから、多少一般人からずれた見解を持っているかと思う。しかし、やってみて損は無いような気もした。これまで同じような情報発信をいくつか手掛けてきて、比較的慣れていると言えなくもない。ブログを毎日更新することは、さほど手間も取られないし、苦にもならないだろう。番犬日記と違って、ネタに困ることも無いと思う。

 そんな経緯で、4月1日にスタートした。立ち上げもラクだった。何事も慣れてしまえば勘が利く。こんな簡単なことを、どうして今までやらなかったのかと、自分ながら疑問に思ったが、そういうものでも無いだろう。慣れるまでには、時間が必要だったのである。

 もう一点、息子が指摘したことがある。

 毎日の仕事を記事にして掲載することで、仕事に張り合いが出る。こんな形でも、世人の目に触れることは、刺激になる。一人だけでやっている仕事には、自分自身を追い込み、奮い立たせるようなものが必要だ。たかがブログでも、世の中に向けて発信するからには、自らを律する助けになるはずだ、と。

 もっともな事を言うものだと思った。何だか、私の仕事ぶりを見透かされているような気がした。



ーー−4/13−ーー メガプテラ



 画像は、海洋写真家ボブ・タルボットの作品。元々はポスターで、周囲に黒い余地が回してあったが、それを切って取り除き、寸法に合わせて額縁を作って納めた。自宅の居間の壁に掲げてある。

 題名はメガプテラと言う。巨大な鳥が飛び立つようなシーンなので、そのような名が付けられたと、当初は思った。しかし、後になって、それはザトウクジラを意味する英単語だと知った。

 海面に飛び出したクジラが、再び海中に潜る最後の瞬間に、尾びれが起立したシーンをとらえている。ひれからパラパラと海水が滴り落ちているのが生々しい。ダイナミックな光景なのに、海面は穏やかに静まり返っている。それが不思議な臨場感を与える。入江か湾のような所なのだろうか。遠景の、うすくぼやけた陸地と、さらに遠くの明るい空が、クジラの巨大な黒いシルエットと対照をなして、一つの物語りを展開しているようにも見える。

 二十数年前、まだ会社勤めをしていた頃、出張先のマンチェスターのショップでこのポスターを見た。何気なく入ったポスターの専門店で、店内には数々のポスターが展示されていた。その中に、これがあった。強烈な印象があり、しばらくその前に立ったまま眺めた。欲しいと思ったが、買わずに諦めて店を出た。別に値段が高かったわけではない。ポスターに折り目や傷を付けずに日本へ持ち帰る自信がなかったからであった。

 その後、しばしば思い出した。買って帰らなかったことが悔やまれた。もう一度あの画面を見たかった。東京で探そうとしたこともあったが、今のようにネット検索があるわけでもなく、「クジラの尻尾のポスター」というだけでは探しようがなかった。東京といえども、ポスターの専門店は、ほとんど無かったように思う。

 会社を辞めて、木工家具製作の道に入っておよそ10年経った平成12年。大学時代の先輩S氏のお宅へ、ダイニングテーブルを納めた。トラックに積んで出掛けて行った。お宅は新築で、S氏が家の中を見せて歩いた。書斎にも案内された。氏は自家製のパソコンを見せたかったようだが、私は壁に貼ってあったものを見てギョッとした。それがこのポスターだった。

 氏はスキューバ・ダイビングを趣味としていて、ご自身も海に潜って写真を撮る。そんな海好きの人だから、このようなポスターを自室に掲げていたのだろう。それにしても、不思議な縁だったと思う。十数年ぶりに再会することができた。

 私が特別の関心を持ってこのポスターを眺めているのに気が付いたのだろう。S氏は、「もし気に入ったのなら、あげるよ」と言った。自分はもう見飽きたから、いらないと。私には願ってもない事だった。有難く頂戴して、持ち帰った。それが今、自宅の壁に掛っている。

 これに関連して、と言えるかどうか分からないが、今でもはっきり記憶している事がある。このポスターと再会する一週間くらい前に、海の夢を見た。海洋ロマンのような筋立てだったと思う。その中の一場面で、斑点のある巨大な水中生物が、海面のすぐ下を悠々と進んでいくのを眺めていた。そんな夢は、後にも先にも見たことは無い。珍しい事だったので、起きてから子供たちにも話して聞かせたことを覚えている。

 あれは何かの暗示だったのだろうか。そんなふうに思ってこの写真を見ると、また不思議な気持ちにとらわれる。




ーー−4/20−ーー 焼きペン


 右の画像は、自宅の部屋で使っているロールペーパー・ホルダー。自家用の品物だから、簡単に作ってある。今回話題にしたいのは、この品物の表面にしつこく展開されているヒョウタンの柄。これは「焼きペン」という道具で描いてある。

 今年になって、その道具を手に入れた。目的は、出来上がった家具の裏に、大竹工房のロゴの焼印に添えて製作年を記入するため。これまでは、0から9までの数字の刻印を組み合わせて打刻してきたが、数字がズレたりして、あまり見栄えが良くなかった。目につかない場所に記するものだから、見栄えを気にすることも無いのだが、まあこんなことでも少しずつ改善していこうと考えた。



 焼きゴテの原理でマーキングをする道具を、焼きペンと呼ぶ。これはあるメーカーの商品名かも知れない。国内では、限られたメーカーしか作ってないように見受けられた。原理は、電熱線の発熱を利用して木材の表面を焦がすのだが、はんだゴテと違って、電熱線そのもので線を描く。そのため、電源を入れてからの立ち上がり時間が極めて短い。これは操作上の大きなメリットだと言える。

 この道具、実は絵を描くことにも使われる。欧米では昔から、暖炉の火などで熱した焼きゴテで、木の板に絵を描くアートがあったそうだ。ネットで調べてみたら、焼きペンで描いた絵の見本があったが、まるで写真のように写実的な表現をしていて、驚いた。

 
木という素材は、綺麗に加工した板でも、表面に年輪や導管の凹凸はあるし、固有の色も有る。従って、鉛筆やペンなどで微細な絵を付けることは難しい。鉛筆では濃い線は描けないし、ペンではインクが滲んでしまう。その点、焼きペンは材面の性状に拘わらず明瞭な線を描くことができる。また、やり方を工夫すれば濃淡の変化も付けられる。木の材面を塗りつぶさず、つまり材面に直接、写実的な絵を描くためには、唯一この方法しか無いようにも思われる。



 購入の動機から脱線して、身近なものに絵や模様を描いてみた。これがなかなか面白い。木の質感とのからみで、思いがけない効果が現れる。絵柄を付加すると言うよりは、材の中から浮かび上がってくるような印象がある。木が焦げて黒くなるのは、木にとって自然な事であり、従ってそれによって印されたものは、材面に良く馴染むのだろうか。

 昔から、生活用具や仕事の道具に、持ち主を識別するための焼印を押すということが、普通に行われてきた。焼印で記されたマークは明瞭で、しかも材が摩耗してもしぶとく残り、風雨にさらされても消えることは無い。焼いて焦がして印を付けるというのは、木材ならではの事であり、他の素材には見られないものだろう(まんじゅうなどの和菓子には、焼印を押すものもあるが)。これも木を扱う技の一つと言って良いと思う。




 購入した焼きペンは、宣伝文句ではパワーが大きいからどの材種にも適用できるとの事だった。しかし、広葉樹の固い材を相手にするには、温度の上がり方が今一つで、繰り返し模様を描くときなどは、能率が悪いように感じた。それで、メーカーに問い合わせた。返事には、ペン先が汚れてくると伝熱効果が落ちるから、時々紙ヤスリで擦ると良いなどのアドバイスが書いてあった。それと共に、実はいくつかのユーザーから、パワー不足が指摘されているので、改良を試みているところだとのメッセージもあった。さらに使いやすい道具になれば、利用価値は高くなると思う。










ーー−4/27−ーー 名前違い


 先日、自宅の電気系統を変更する工事をした。電気工事店に頼んだのだが、その担当者が間違えて手続きをしたものと思われる。一か月経って電力会社から届いた電気料金明細書では、記載された私の名前の字が間違っていた。

 電力会社に電話をして、事情を説明した。相手はたいへん恐縮した様子で、間違いを詫びた。そして、正しい字に直すが、来月の明細書からの訂正になると言った。それで問題無い、と答えたが、相手の恐縮ぶりが印象に残った。恐らく電力会社の落ち度では無い。それなのに、まるで自分が犯したミスのように謝っている。

 電話を切ってから、家内にその事を話すと、「名前を間違えるというのは、たいへん失礼な事だから、過剰に気を使うくらいで、ちょうど良いのよ」と言った。ショッピングセンターの売り場でパートをやっているだけあって、私よりも世慣れている。

 その、「たいへん失礼な名前間違い」に関して、面白い話がある。

 息子が高校生だったとき、体育の教師が息子の名前を間違えて覚えた。どういう理由か分からないが、息子が「村上」となったのである。

 息子も、始めのうちは何のことか分からなかった。ところが、ソフトボールでバッター・ボックスに立つと、「村上がんばれ」と言う。何か良いプレーをすると、「村上よくやった」と言う。自分に向ってそう言うので、次第に息子は自分の名前が間違えられていることに気が付いた。

 ところが息子はそれを正さなかった。言い出すタイミングを逃したと言う。すでに村上と呼ばれて日数が経っていたので、今更それは違いますと言い出すことが出来なかった。先生に恥をかかすのも気が引けたのだろう。別に実害があるわけじゃないから、村上で通すことにした。ずいぶん後ろ向きな発想だが、高校生の男子など、こんなものだろう。

 それでもやはり気まずい部分はあったようで、「今日も村上と呼ばれた」と、苦笑いをしながら話すことがたびたびあった。面と向かって、別の名前で呼ばれたら、珍妙な気持ちになるのは理解できる。

 最終的に、この話は決着を見た。学期の終わりに体力測定があり、生徒は各自記録を記入した紙を教師に提出した。息子が紙を渡した時、そこに書かれていた名前を見て、教師は驚きの表情になったという。それもそのはず、村上だと思い込んでいた生徒が、実は大竹だったのだから。気まずさも、相当なものだったろう。驚いた顔をしたまま、無言だったそうである。

 その後しばらくの間、その教師は息子に対して声を掛けることが無かった。妙によそよそしかったそうである。自分の失態を恥じていたこともあるだろう。また、すぐに名前を切り替えることに、違和感があったのかも知れない。結婚して名字が変わった女性に、新しい名で呼びかけるのは、いささか抵抗があるものだが、それと似たようなことだったか。

 その教師の一連の動きを見て、「人間の心理はおもしろいものだ」と息子は言った。




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